1行紹介
麻酔科〈ペインクリニッツク) 産婦人科 一般内科
自己紹介文
生まれ ;
長崎市野母崎町 ; 長崎市 から約30Km西方に突き出た半島の先端 江戸時代2派、南蛮船が、渡来した時のみはりだいが、あった。
子供時代 ; 野母の野山 海で、遊ぶ。
小学1年生 -小学生4年
海倫(ハイロン)と言う中国東北地方で、広い自然が広がる、田舎でののした日々を過ごす。 1945年8月 日本;敗戦 流浪の難民生活が、始まる。日本のある南の方へ、南へと移動する。1946年1月18日 長春 (チョウ
シュン) 母 死亡 雪が解けた頃から,内戦が、激しくなり、父は、戦をさけ、、田舎に畑仕事をさがす。種まき,等して生活費を稼ぎ、市内に、もどる。 1946年8月18日 日本に帰国 東支那海で船酔いで、疲れていたが、前方に日本の島影が見えたときは、引揚げてきた全員が、歓声をあげた。港で 2-3日泊められて、長崎帰る事になった。原爆被災地は、無残な瓦礫の荒地だったが、故郷野母は、暖かく迎えてくれた.
これが 戦前しです。
戦後の混乱期は、日本全体が進む方向を、見失い、日々の生活に必死で、毎日食べるものに、苦労したものでした。私のうちには、新しい母がきて、民宿みたいな旅館を 始めることになった。父から 旅館の屋号を ”ちちご屋”と聞いて、父 子 と思い 新しい母に悪い のでは と思いました。
父は 若いときから魚釣りが好きで、母に薬局の仕事をまかせて、魚つりにでかけたそうです。
”ちちご” とは 魚が餌に夢中になって食い付く時 を言うそうで それを屋号にしたわけです。
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