豊橋市へ
一泊二日の豊橋の旅 帰りの新幹線の時間に三時間ほどの余裕ができたので 駅前から市電に乗り 豊橋市美術館にでかけた。
遺跡が語る豊橋の歴史 (旧石器時代 縄文時代 弥生時代 古墳時代 ) 郷土画人展(江戸期・・・明治期)ー石峰・文笠・圭岳・拳山
三河地方に輩出した画人達は、多くは”崋山" ”椿山”という偉大な画家の影響の中で、書画から絵画へと、”書画会”を通して逞しく生き続けてきた。
中国明代末に確立した絵画に、”南画(文人画)”が、十八世紀初頭から将来され、次第に日本的なものになっていった。鎖国の日本へ中国の画譜、画論が大量に輸入され、それらを日本の画人が模倣したことから、その画く精神は中国の文人画と同じゅうするものの、お抱え絵師〈狩野派)などとはことなり、職業画家的な売画活動も行なわれていた。
幕末の文人画家・洋学者・渡辺崋山の 36歳に記した"日省課目”(文政11年〉の中で、「困乏、飢に及ぶ。僅かに画を以って免る。故に一日画を作らざれば、一日の窮を増す」と記している。
また 崋山39歳の紀行「毛武遊記」〈天保2年)に 「岡田氏〈立助・東塢とうこう)、美濃へ浪遊の時、書画の集を催したるに、至るものなくて、そくはくの金を費(や)し、ひそかに美濃をにげさりし事あり」 とあって、美濃国で書画会をしたが、参会するものがすくなく、成果があがらず、逃げ出したと言う記事がある。
江戸時代中期以降、各藩のお抱え絵師ではない、都市の町絵師たちは、個人の邸宅や料理屋などに書画会を設けることができるようになり、そこでは商品として個人作品の展示頒布がおこなわれ、ヨーロッパのようなギルド〈画家組合)の主宰ではないけれども、会主が存在していて、いわゆる展示会〈展覧会)が萌芽が生まれたのである。
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